ストーリー
シアタートップスでは劇団デニスホッパーズ、紀伊國屋ホールでは劇団天空旅団が同じ日、同じ開演時間で初日を迎え、2時間後に両劇場の幕が上がろうとしていた。
そんな折、劇団デニスホッパーズの公演が急きょ中止となった。舞台はすべてバラされ、劇団員やスタッフ達は帰ってしまった。その理由は、主宰・柏木幸太郎が前代未聞のシアタートップスと紀伊國屋ホールの両方の公演に出演するというダブルブッキングを企てていたことが発覚したからだった。
柏木は紀伊國屋ホールでの天空旅団の最終稽古を終え、シアタートップスに戻ると、そこには誰もいなかった。密かに進めていたダブルブッキングの計画がバレた!しかし柏木はめげない。このダブルブッキング、絶対にやり遂げてみせる!とまた紀伊國屋ホールに戻った。
柏木の彼女であり、劇団の主演女優でもあり、制作でもある豊原仁美は柏木のダブルブッキングが絶対に許せなかった。公演の後処理もしなければならず、シアタートップスに戻るとそこでは紀伊國屋ホールにいるはずの天空旅団の役者達が乱入し、柏木につかみかかり、大喧嘩となっていた。
いわゆるアングラと呼ばれる天空旅団は、どんなセリフでも絶叫するという今の演劇界においては完全に時代遅れであり、観客動員もままならない。しかし彼らには彼らなりの信念があり、演劇人の生き様として柏木のダブルブッキングが許せなかった。
今、トップを走り続けている劇団だと自負していた柏木のダブルブッキングの企みはついえた。しかし、時代遅れであるが故の天空旅団のおかげで豊原や劇団の仲間たちとの絆を改めて感じることができた。柏木の胸を刺したのは、それはシアタートップスの歴史であり紀伊國屋ホールの歴史であった。天空旅団の座長・チャーリー若松は柏木に言った。「役者が劇場を選ぶんじゃない。劇場が役者を選ぶんだ」
作・演出 堤泰之
今年の5月、衝撃のニュースが飛び込んできました。なんとあの「シアタートップス」が復活する!しかも本多劇場グループの手で・・若い人達にとっては、それがどうした?シアタートップスって何?となるのでしょうが、私のような昭和生まれのおじさん達の若い頃、トップスは憧れの劇場でした。大阪で活動していた劇団☆新感線が初めて東京に乗り込んで来たとか、三谷幸喜率いる東京サンシャインボーイズの活動休止公演は3ヶ月のロングランだったとか、とにかく話題の公演が目白押しだったし、トップスに行けば面白い芝居が観られるという信頼感がありました。若手劇団はまず、トップスか下北沢のザ・スズナリを目指す。そして次は、紀伊國屋ホールか本多劇場。これが小劇場界の出世街道でした。
ある日、プロデューサーの難波さんから連絡がありました。紀伊國屋ホールとシアタートップスを同時に押さえたんやと。私は驚愕しました。2つとも人気の劇場なので片方とるだけでも大変なのに、同時にとれるなんて奇跡です。さらに難波さんは言いました。両方の劇場を行ったり来たりしながら、2つの芝居が出来ひんかなあと。こうして始まったのが2劇場同時公演「ダブルブッキング!」(2008年)という芝居です。
「ダブルブッキング!」は、紀伊國屋ホールで公演を行う「天空旅団」と、シアタートップスで公演を行う「デニスホッパーズ」の両方の公演に出演しようとした男の話です。どちらの劇場で観ても1本の芝居として面白い、なおかつ両方の劇場で観ると2倍面白いという作品を目指したのですが、実際、稽古は大変でした。
役者の移動が間に合わない箇所が出て来ると、その度に台本を削ったり書き加えたりしなくてはなりません。通し稽古は2つの稽古場に別れてスタートし、演出席に置かれたモニターでもう一方の稽古場の状況をチェックするという、プチ聖徳太子状態が生まれました。本番では、役者の移動が間に合わずアドリブで繋がざるを得ない時もあったり、劇場に辿り着いた役者が酸欠でフラフラになっていて台詞が言えない状態になったこともあったり・・とにかくもう、それはそれは大変な公演でした。
朗読劇「トップスまで、あと5秒!」は、「ダブルブッキング!」をベースにした作品です。ものすごく大変だけど、もっともっと面白いことをやりたいという、演劇に関わる者達の想いが少しでも伝われば幸いです。
プロデューサー 難波利幸
2005年に『ダブルブッキング!』という企画を考えました。2つの劇場を同時に開演して、役者が外を走って作品を成立させる。そして、そこには2劇場を往き来せざるを得ないストーリーがある。2劇場それぞれに演劇的歴史があって、移動距離もほど良くて。必然的に浮かんだのはシアタートップスと紀伊國屋ホールでした。2008年の初演の時、取材で「この企画は構想に3年かかったそうですね」と言われ「そうなんです。練りに練りました」といいカッコして答えていましたが、正直なところは、当時演劇界でトップクラスの人気を誇っていたシアタートップスと紀伊國屋ホールを全く同時期に押さえるということに3年かかりました。そして、この企画は2008年・9年・10年と3年続けて上演すれば演劇界に衝撃が走る!と思っていました。2008年7月の炎天下での初演時、あり得ないことが起こりました。シアタートップス2009年3月末で閉館。「あのトップスが?」青天の霹靂でした。演劇のメッカがなくなる、このニュースは演劇界に衝撃を与えました。同時に『ダブルブッキング!』も頓挫しました。
そして、5年後の2013年1月、本多グループ全面協力のもと『ダブルブッキング!』は、本多劇場/「劇」小劇場/小劇場「楽園」の3劇場同時上演として蘇りました。真夏から真冬へ季節は違えど大変な公演であることは変わりなく、愼一郎さんを始めとする本多チームの皆様に助けていただきながら3劇場間を疾走しました。その後、いろいろと動いていただきましたが、これまた大ヒット劇場である3劇場を同時に押さえることは困難を極め現在に至りました。
このたび愼一郎さんより「難波さん、シアタートップスをうちで復活させようと思います。オープニングアクトとして何かやりませんか?」の連絡を受けた時の衝撃は強烈で、いまだ興奮冷めやらずです。
『ダブルブッキング!』という作品は、トップスと紀伊國屋の2劇場同時出演をやりたくて、そのどこが悪いんだ、という役者の話です。当時、堤さんと「この男のくだらなさと、そのくだらないことに命を懸けて突き進む演劇人の様が感動に繋がれば」とよく話していました。最近思うのは、演劇にとって大逆風が吹き荒れるこのような世情の中でも芝居を上演し続けるというのは、それはそういう病気なのかもしれません。そして、そういう人種になってしまっているのかもしれません。我々のような身勝手な人種をお許しいただき、作品の素晴らしさに思いを委ねてお楽しみいただければ幸いです。個性溢れすぎる15名の狂人キャストにご期待ください!